家づくりへの情熱

2012/11/19

【住宅】『住宅バカ』一代記

私の出身地は四日市の東新町18の18。東橋北小学校です。おとなしくて可愛くて、賢い成績のいい子供でしたね(?)。しかし4年生ぐらいからクラスで一番背が高くなって、力がなんか強くなって『戦い』に目覚めちゃいまして、それ以来大学まで『体育会系』で通しています。『文科系』ではありません。

 

中学は『名門』暁中学校。高校は『泣く子も黙る』岐阜県瑞浪(ミズナミ)市の全寮制の麗澤(レイタク)高校でした。可愛い子供には旅をさせよ。と言うことで父親が勝手に決めてしまいました。ライオンのような恐い先輩達も慣れれば楽しい寮生活でしたね。生徒会長は落選しましたが、私は『寮長』さんとしては、なかなか立派な活躍をして、まあ勉強する暇がなくて、そのままトコロテンで麗澤大学の『ドイツ語科』にめでたく入学しました。

 

しかし卒業の時は悩みましたね。①ドイツ語の先生になるか、②商社に勤めるか、③何をしたらいいのか…。私はその頃からマジメな変人でしたから、学生に勉強を教えるなんて『気遣い沙汰』。そして勝手もんですから『会社組織』でも生きていけません。それが自分で一番分かっていましたから、『就職しない』ことにしました。

 

それで名古屋の山口町の小さな社員一人の建設業の会社に『給料いりません』『2年たったら独立します』『2年で辞めます』なんてマジメに本当のことを言って働かせていただいて、2年後に本当に辞めて、24歳で独立しました。

 

今61歳ですからもう37年が過ぎてしまって『建設業界39年』『創業37年』ですね。もう39年間も『住宅バカ一代記』でやってきました。意志薄弱で飽き性の血液型B型の私が、39年間も同じ仕事で頑張れたのは『奇跡的』です。

 

その理由はたった1つです。小学校5年生の時に『個室の子供部屋』が欲しくて欲しくて、親に言っても作ってくれない(お金の問題)ので、母親に無理を言って材木屋さんに行って、材木を買ってもらって、自分で物置きを改造して『勉強部屋』を作ってしまったんですね。

 

ベッドも作り付けで、入口の建具も自家製です。電気工事だけは11歳の子供には無理ですから、3件隣りの電気屋さんに頼みました。もう大満足の出来映えで、この体験がなければ私は今『建設屋さん』をやっていません…ね。懐かしい思い出です。

 

24歳で独立と言っても仕事が全然ありません。営業なんて全然出来ませんから私は『現場の職人』になる事を決心しました。そして10年間職人をやって、三重県で一番収入の多い『職人さん』になってしまったんですね。

 

それから建設業の下請け仕事で苦労して、元請けの仕事に成長して、設計事務所を始めたり、店舗設計施工もたくさんしました。インテリアや輸入家具や照明器具の販売の店も経営しました。輸入建材の仕入れで年間110日も海外に出かけたのはこの頃ですね。世界10ヶ国から建材を輸入していました。

 

と言うことで『住宅バカ』が一生懸命にお客様、施主様に『喜んでいただける住宅』を作ろうとした37年間でした。お陰様でたくさんの『工法特許』を作りましたし、いくつもの『実用新案』や『ビジネスモデル特許』の申請もしています。日本で『私しか出来ない事』を1つ1つ作り続けて来た37年間でした。

 

今回も『ローン支払いゼロの家』が完成しましたので、多くのお客様に喜んでいただけますし、今はまた地下20mまで『穴を掘って』地中熱利用の『年中無料エアコン』を私は開発しています。日本初の『家賃半値』の賃貸マンション(実用新案特許申請)も、もう10年間やっていますが評判は上々ですね。

 

まっ、と言うことで私の『住宅バカ一代記』はこれからも続きますが、宜しくご期待の程をお願い申し上げます。

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